ラトゥ・ボコ寺院又はボコ王遺跡は、スレマン県、ボコハルジョ地区に有ります。16ヘクタールに達するエリアは、ラトゥ・ボコのエリアをダウングとサンビレジョの二つの村のエリアに有ります。所在地はジョグジャカルタ市内中心部の東に約17キロで、ジョグジャ~ソロ通りからアクセス出来ます。次に、プランバナンのT字路を右折して、そこから約3キロの所に有ります。公共交通機関をご利用の場合は、ルート1Aか1Bのトランス・ジョグジャに乗って、プランバナンターミナルで降ります。一人当たり3千ルピアです。ターミナルからバイクタクシーでラトゥ・ボコへの旅を続ける事が出来ます。

ラトゥ・ボコ遺跡は、寺院というよりは宮殿又は王宮のような物です。以前の機能は礼拝の場で有るだけで無く、要塞でも有ったからです。ラトゥ・ボコ遺跡は海抜196メートルに有ります。250.000平方メートルの宮殿エリアは、中央、西、南東、東の四つに分かれています。複合施設の中央セクションは、正門、火葬場の寺院、プール、石の台座、パセバン(又はオーディエンスホール)で構成されています。南東部には、ペンドポ(付属のオープンパビリオン)、バライバライ(公会堂または建物)、三つの小寺院、プール、そしてカプトレン(女性の宿舎)と言う壁に囲まれた建物が有ります。東部には洞窟、仏教の仏塔、プールが有ります。西部は丘陵地帯だけです。これは、西暦779年のカラサンの碑文、西暦907年のマンティアシー(Mantyasih)の碑文、および西暦908年のワヌア・テンガーIII(Wanua Tengah III)の碑文に依ると、ラトゥ・ボコ遺跡は、ラカイ・パナンカラン(Rakai Panangkaran)の治世中に設立されました。ラカイ・パナンカランは仏教徒ですが、ラトゥ・ボコ遺跡の複合体にはシヴァ神を崇拝するヒンドゥ教の要素が有ります。専門家に依ると、これは当時の宗教的寛容の存在を証明しています。

ラトゥ・ボコ遺跡の歴史

ラトゥ・ボコ寺院は、ラカイ・ワラング・プフヤボニ(Rakai Walaing Puhuyaboni)の侵入に依り、ラカイ・カユワンギ(Rakai Kayuwangi)に依って要塞としても使用されました。戦闘の結果、ラトゥ・ボコ寺院の幾つかの部分が損傷を受けました。その後、ラトゥ・ボコ寺院の修復は1938年のオランダ植民地時代に始まり、1952年以来インドネシア政府に依って続けられました。

歴史的な寺院の複合体を見る以外に、ラトゥ・ボコ遺跡は美しいパノラマも提供します。遺跡の一部で有るアンドラウィナ広場から北を見ると、メラピ山を背景にしたジョグジャカルタの街とプランバナン寺院群の美しい景色を見る事が出来ます。特に、夕暮れ時には、オレンジ色がかった寺院周辺の雰囲気が更に美しく成ります。ラトゥ・ボコ遺跡の複合体には、「呪文で唱えられた聖なる水」を意味する「アメルタ・マンタナ」と言う井戸も有ります。火葬場の寺院の南東に有ります。現在でも水は頻繁に使用されています。地元の人々は、井戸水を使う人々に幸運を齎す事が出来ると言います。ヒンドゥ教徒はそれをニュピの前日のタウル・アグング式典に使用します。儀式での水の使用は、その目的、即ち自分自身を浄化し、地球とその内容を元の調和に戻す事をサポートすると信じられています。

パノラマを見る場所だけで無く、プラザ・アンドラウィナはレストランとしても機能します。プラザ・アンドラウィナは、約500人の定員の会議活動にも使用出来ます。更に、管理者はキャンプ場とトレッキング、考古学教育パッケージ、ツアーガイドを提供します。この場所は、広告の為にビデオを撮影場所や結婚式前の写真の撮影場所としてもよく使用されます。

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