ジョグジャ・ケンバリ・モニュメントは、ジョグジャカルタ特別州、スレマンリージェンシー、ンガグリック(Ngaglik)地区、サリハルジョ村のジョンカング集落に有ります。このモニュメントは、ジョグジャカルタのインドネシア政府を再機能させる事に依り、オランダ軍を押し戻し、インドネシアの存在を国際的に救う事に成功した英雄の闘争を評価する為に建てられました。ジョグジャ・ケンバリ・モニュメントから本当に興味深いのは、南の海~パングング・クラピャック~ジョグジャカルタ王宮~トゥグ・ジョグジャ~メラピ山の虚軸に従って設定された建物の位置です。

ジョグジャ・ケンバリ・モニュメントのメインエリアに入る前に、訪問者は西側と東側の二つのゲートを通過出来ます。東口門ではチュレンの飛行機のレプリカが出迎え、反対側では西口門でグンタイの飛行機のレプリカが有ります。西と東の表彰台では、訪問者はこのモニュメントの前庭に降りる前に見つける事が出来る車輪付き機関銃の二つの武器を見る事が出来ます。中庭の南端には、1948年12月19日から1949年6月29日までの間に亡くなった420人の戦闘の英雄の名前と未知の英雄の為のカイリル・アンワル(Chairil Anwar)のカラワン・ブカシ(Karawang Bekasi)の詩が書かれた壁が立っています。

ジョグジャ・ケンバリ・モニュメントの本館は、蓮の花をコンセプトに、西、東、北、南の四つの扉に分かれた池に囲まれています。

西東の入り口の門は、4つの博物館の部屋で構成される1階の入り口の門に接続されており、ゲリラ戦争中のスディルマン将軍の輿(ストレッチャ)を見る事が出来ます。北と南の入口ゲートは2階の階段に直結しています。この建物の外壁には、1945年8月17日から1949年12月28日までの国家闘争を描いた40のレリーフが有ります。闘争の表現、外交、大統領と副大統領のジョグジャカルタへの復帰、そして 人民安全保障軍の編成は、これらの浮彫に描かれています。この建物には、1948年12月19日にオランダ軍がインドネシア国空軍基地を攻撃したマグウォ事件や、1949年3月1日の攻撃の歴史や、ローム・ロイエン合意や、1949年8月17日のジョグジャカルタ大統領宮殿で独立宣言を表示する10セットのジオラマが有ります。

最上階は静かな丸い部屋で、部屋の真ん中にインドネシアの国旗で飾られた旗竿、西の壁の肉体的闘争と東の壁の外交闘争を描いた手のレリーフが装備されています。 「ガルバ・グラハ」ルームは、戦闘の英雄達の為に祈り、彼らの闘いを省思する場所として機能します。

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